君と僕と僕と君

推しへの愛が止まらない

行方不明の幸せは

僕はこれまで日々どんなことに幸せを感じてきたのか。

 

19年間続けてきたサッカーをやっている時は果たして幸せだったのか。
先月プレイヤーとしてサッカーから退いた今振り返ると、幸せだったと思うことができるが、ひとつひとつを切り取ってみると決して幸せであったとは言えないだろう。
プレーしている時は辛く苦しいことが多かった。中学も高校も、そして大学も。
そう考えると、僕が感じる日々の幸せはサッカーにはなかったのかもしれない。

 

じゃあ一体なんなのか。
僕はこれまでサッカー以外のことをしてきていない。

 


おそらく僕が幸せを感じていたのは好きな人との時間。
好きな人と一緒にいる時、好きな人が笑っている時、好きな人が幸せそうにしている時。

 

中学の時、中1のあれは置いておくことにして、中3の僕が好きだったのは同級生の女の子。
でもその子には中2の頃から付き合っている彼氏がいた。それも僕とめちゃくちゃ仲の良い友達。
そんな恋が叶うわけもない。それでも僕はその彼氏よりもその子と仲が良い自信があったし、その子と長い時間過ごしていたと思う。
その子と一緒に過ごす時間が幸せだったし、その子が笑っていれば僕は幸せだった。

 

高校の時、高2くらいまでは中学の時のことを引きずっていたが、高3になって好きな子ができた。
その子はいつも笑顔でまわりのみんなから愛されている子。
その子といる時間が楽しくて嬉しくて幸せだった。その子が笑っている姿を見るのが嬉しかった。たとえそれが僕と関係ない場所であったとしても。

 

大学の今、僕は好きな子がいる。それは恋ではなく、なんとも説明し難いものである好き。
その子と会うことができるのは本当に限られた時間である。でも少しでも会えるのが僕にとっては大きな幸せ。
会うと楽しそうに話しを聞いてくれる姿が、メールで送られてくる楽しそうな様子が、テレビで見る笑顔が、ライブで輝いている姿が、僕が感じる日々の幸せ。

 


どこかでこんなことを言っている人がいた。

君が宇宙で1番幸せなら、僕は宇宙で2番目に幸せだ

今の僕にとっての日々の幸せは、その子が幸せにしていること。笑っていること。悲しんでいないこと。

 

今の僕の夢はもしかしたら、その子が幸せになることなのかもしれない。